ワンチャン

ワンチャンあるかな?って言葉の意味は、

もう一回チャンスあるかな?っていうことで、

うまくいかなかったことをなんとか取り返そうっていうことみたい。

弁護士の仕事をしていて、拘置所や刑務所に本を差し入れることがある。

女性はわりかしいつも読んでる雑誌とか小説が多いかも。

男性の場合、意外と多いのが自己啓発の本。

刑務所の中の官本(借りられる)にもその手の本があり人気あるみたい。

出てきてからの支援をしていてもこれは思うことだけど

出てきたばかりの受刑者って「さー!悪いことするぜー!」

っていう人もまあいなくはないけど、大半の人は心底疲れて

「もうここには来るまい。人生やり直すぞー!」っていう人が

数からいったら多い。

中には

「出てきちゃったけど、人生どうしたらやり直せるかわからん」

という人もいるけども、わかれば、やり直したいわけです。

そういう希望の思いと焦りは紙一重です。

最初はどうしてもうまくいかないことが多いです。

住処、仕事、人間関係。場合によっては医療と福祉。

これがきちんと回り出せば、ホッと一息。

まあ、誰でもそうだよと思うかもしれないけど、

マイナスからのスタートだからね。

自己責任論はマイナスからなの当たり前だろって思うかもしれないけど、突き放す態度は孤独を呼びます。

孤独というか孤立というか、

それが一番、本当は辛いんだよね。

ワンチャンできる社会がいいっすね。

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2018年7月無料相談のお知らせ

6月までは既にお問い合わせ枠でいっぱいになってしまった無料法律相談ですが、7月は2日となります。

ご希望の方は電話(03-6659-9008)又はメール(r.shiraki@hummingbird-law.net)まで事前のご予約をお願いします。お一人(又は一社)1時間無料でお伺いします。

昨日はリーブラ(港区の男女共同参画)の講演企画を聴きに行きました。

母語が日本語でないとか母語は日本語だけど環境上日本語を習得しにくい環境にいる子たちの教育をしている法人さんとハーフの研究をしている方の講演だった。

渉外家事を専門の一つにしているわたしにしてみると、離婚後定住者になったクライアントとそのお子さんのサポートの問題で、なんだかんだと相談にのることもあるので、私にとってはビビッとくるテーマなのだ。

これだけたくさんの日本以外の国にルーツを持つ人が生活し、暮らしているのに、行政や司法が提供しているサービスは日本語が漢字も読み書きできて流暢に話せる人向きがほとんどで、そうでない人への情報だけではちんぷんかんぷんということも少なくない。

それは私も実感することで、日本人であれば役所に行って自分で取得した方が早いような書類はお持ちいただくが、日本語が難しい人には一緒に行くのが一番である。なので結果的に生活サポート的な役割を果たす場合もある。

これって法律の紛争ありなしに関係なく必要じゃね?と思うけど、きっとほかの弁護士だとそれは「弁護士の仕事じゃない」っていうのかなあ…

私は境の曖昧な人なので、その人の環境を整備するのに生活サポートも必要ならするよというスタンス。時間がとられるのはまあ、間違いないけど…

せめて電話の欠席連絡がメールでもOKなら、ひらがな+スマホで解決できる親御さんもおろうに。

後半は、「ハーフ」、「ダブル」について。

ダブルっていうのは、双方の文化にルーツを持つんだから、半分じゃなくて二倍でしょってことです。

見た目が「外国人」に見える人が寿司を握っていたら、「どこから来たんですか?」と会話の端緒として尋ねられることは想像はつく(実際この例は1日に何回も聞かれる。毎日。)。

そして流暢に日本語を操る彼が「日本語お上手ですね」と言われることも一日1組のお客さんの割合で毎日あるそうな。

さて、仮に日本国籍でずっと日本で暮らしてきたあなたが日本の寿司屋で働いていて、

「どこから来たんですか?」と毎日数人の人に言われ続けるとして。

「…日本に生まれてからずっと住んでいます」って答えるときって、ちょっと困惑しませんか?

「日本語お上手ですね」も誉め言葉ってわかるけど、「そら当たり前や」と少なくとも内心は思う人も多いかもしれません。

でも彼とそんなあなたの差は見た目だけで、彼が日本で生まれ、日本で育つ、国籍上も日本人であることもあるわけです。てか、これからそんなことは珍しくなくなるわけです。

「いつになったら日本人って認めてもらえるんだろう」

その人の言葉だそうです。

ナショナルアイデンティティをどこに置くか、自分の育ちに焦点を当てる人もいれば、自分の親の国に焦点を当てる人もいる。これはライフヒストリーに直接関わる話です。

なので、その人自身が生きて行く中で感じることであり、周囲が決めることではありません。

見た目は遺伝子の気まぐれによって生まれるもの。その人が選んだものではありません。

最近、他の人が選んだことを大事にしようと実感することが増えました。子育てでもそうだけど。

どんな人でも見た目とのギャップがあるかもしれないってことを頭の片隅に入れて暮らすことって大事って思いました。ギャップ萌えとかそういうレベルじゃなくて、真剣にその人自身が「わたしは何者か?」という問いに関わる部分でもあるってことよ〜

依存症など諸々話

昨日は、写真のように依存症支援、依存症予防教育に関するシンポジウムに伺いました。

アルコール依存、ギャンブル依存、ゲーム依存、スマホ依存、買い物依存…

依存症はその人本人や家族が苦しむ精神疾患の1つです。薬物依存もしかり。

薬物依存の場合、違法薬物だと一度の使用で犯罪となってしまいますが、依存症であることには変わりません。同じように治療が必要な病であるという2つの側面を持つのです。

また、治療や自助グループにつながることで回復もすることができます。一番怖いのは孤立。

孤立を恐れて嘘をついたり、嘘がバレてさらに孤立したり…依存症は孤立を栄養にひどくなっていくことも少なくありません。

保護司として、弁護人としてもっとできることがないかな、もっと刑事弁護の世界に依存症回復支援がスタンダードになって欲しい(ちゃんと勉強している人は繋げるけどね)です。

夏休みは研修月なのだ

海の日も過ぎるといよいよ夏到来!という感じですが、誕生日が真夏の私は実は日焼けすると真っ赤になって痛くなるので、大変な季節であります。旅行に行く年もありますが、今年はどうやら研修に追われる夏休みになりそうです。

皆さんも耳にしたことがあるかもしれませんが、刑事事件の一部では、第一審は裁判所の裁判官だけではなく、裁判員という一般の国民から選ばれた方々が有罪か無罪かと量刑を裁判官と決める裁判員制度が適用されています。

裁判員裁判になる事件は重い罪刑が定められているため、裁判員の時間と心の負担はあるかとは思いますが、普段自分の生活では見えにくい刑事事件が社会でどうなっているのかを知る機会と私は思っています。

ニュースを騒がせる事件がニュースの通りとは限りません(裁判の前の情報ですから、警察側からの情報発信がネタ元である場合が多いですからね…)。鳴り物入りで逮捕された報道のパンチ力というのは絶大なのでどうしてもそのイメージが付きまといますが、実は報道された内容の一部だけが起訴されて、あとは起訴されない、なんてことも実はあるんですよ。

というわけで、本当はどんなことが起こっているのかなを知ってもらうのはとてもいいことだと思ってます。だからお知らせが来たら、お時間作って参加してくださったらとても嬉しいです。

ということで、私も裁判員裁判の弁護をすることになりそうです。今までの仕事でもわかりやすい説明を心がけていますが、さらにわかりやすさを追求したいです。

DVには段取り力

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DVという言葉が普及して久しいですが、未だにDV、つまりドメスティックバイオレンスは日本からなくなってはいません。男性でも女性でも被害者はいるし、日本人でも外国人でも被害者も加害者も当然存在します。

DVで一番大切なことは安全です。安全は生命・身体はもちろん、心の安全も含まれます。安全を確保するには事前の段取りが必要です。行政や警察と弁護士とが連携して、被害者やその家族の安全を守ります。

でも、安全を守るために被害者が今までの地域や人間同士のつながりを断ち切らざるを得ない場合があります。とても不安なときにしんどい思いをしてしまうわけです。。。その後に始まる協議や調停自体も精神的にハードなことが続きますので、精神面も気遣いながら一緒に進めていきます。

また、加害者側と言われる相手方との話し合いも大事な仕事です。お子さんがいる場合、相手方の親子関係が消滅するわけではありませんし、お子さんにとって親御さんであることに変わりはありません。ですので、これはまさにケースバイケースで、面会交流に適した事案なのか、慎重に検討する必要があります。お子さんにとっての福祉と言うのはそういう意味なんですね。

必要に応じて面会交流の弁護士立会いも行いますので、一緒に良い方法を考えていきましょう。

私の仕事2

前回に続いて、弁護士の仕事について話をしてみる。前回は建築紛争のお話。今回は法律相談についてのお話。

弁護士の最初の仕事はトラブルになった経緯を知るところから始まる。どこまではお互いの認識が一緒で、どこがずれている、と思われるか。最初は片方、つまり自分のクライアントからの情報を集めることが大半となる。

なので、ここでズレを確認するのは、あくまでも仮定の話であり、実際に相手方の話を聞いてみると仮定の段階ではズレだと思わなかったことがズレていたりすることもある。

そして、同時に経緯を語ってもらう中で、何かそれを裏付ける残骸のような、いわゆる証拠はないかというのを探っていく。クライアントが証拠を持って来てくださる場合も少なくないが、クライアントが思ってもみなかったものが証拠になることもあるし、こちらで収集できる情報もある。

そうしてひとまず仮に組み立てた事実からいうと、どこが法律の問題なのか、どこが事実上争いになっているところかという問題抽出作業がある。この辺がいかにも弁護士の得意なところである。

私は他の弁護士よりは情報収集、特に話を聞くことに時間をかけることが多い。

弁護士が聞きたいこと、つまり法律上の問題を解決するのに聞き取りが必要な事項=クライアントが話したいこととは限らない。むしろ、程度の差こそあれ、2つの範囲はズレている。

なぜかと言えば、クライアントは法律の問題だけを抱えているわけではないことが多いからである。それなりに対立があるからこそ相談があるわけで、気持ちの問題もある。人によっては心身に病を抱えている場合もある。経済状態に苦しんでいて、そこが背景で問題が起きている場合もある。

この手の問題はホイホイと他人には話せないことが多い。また、家族や身近な人物に相談すると心配をかけてしまうということも多い。

だからこそ、クライアントは弁護士に聞いてもらえればいいなと思うのであり、その気持ちもわかるわぁと思い、私は聞くことにしている。だって、自分だったらどこに話せばいいのさ?って思うもの。

この点は今まで弁護士をしていて、割と自分特有のことだということに最近気づいた。他の事務所が30分単位で相談時間を設けている中で60分にしているのはそういうことなのだ。

私の場合は、ここで聞いた内容を前提とした考えうる選択肢と想定されるコスト、最初のアクションと自分の弁護士費用の話をする。すぐ受任する場合もあれば、何日か待つ場合もあるし、家族と相談して決めるという人もいる。別にどのタイミングでも私の仕事の質は変わらない 苦笑

そうとは言え、弁護士なしでさらに紛争が悪化した後にやっぱりお願いします、という場合は別である。前にあった選択肢が狭まっていることも少なくない、つまり聞いた内容とは前提が変わってしまっているからだ。だから、他の弁護士に頼んだというのであれば相性あるからねと思う一方、ただ、時が過ぎた中で考えてますという人がいると、ちょっとそわそわした気持ちになるのだ。