昨日はリーブラ(港区の男女共同参画)の講演企画を聴きに行きました。

母語が日本語でないとか母語は日本語だけど環境上日本語を習得しにくい環境にいる子たちの教育をしている法人さんとハーフの研究をしている方の講演だった。

渉外家事を専門の一つにしているわたしにしてみると、離婚後定住者になったクライアントとそのお子さんのサポートの問題で、なんだかんだと相談にのることもあるので、私にとってはビビッとくるテーマなのだ。

これだけたくさんの日本以外の国にルーツを持つ人が生活し、暮らしているのに、行政や司法が提供しているサービスは日本語が漢字も読み書きできて流暢に話せる人向きがほとんどで、そうでない人への情報だけではちんぷんかんぷんということも少なくない。

それは私も実感することで、日本人であれば役所に行って自分で取得した方が早いような書類はお持ちいただくが、日本語が難しい人には一緒に行くのが一番である。なので結果的に生活サポート的な役割を果たす場合もある。

これって法律の紛争ありなしに関係なく必要じゃね?と思うけど、きっとほかの弁護士だとそれは「弁護士の仕事じゃない」っていうのかなあ…

私は境の曖昧な人なので、その人の環境を整備するのに生活サポートも必要ならするよというスタンス。時間がとられるのはまあ、間違いないけど…

せめて電話の欠席連絡がメールでもOKなら、ひらがな+スマホで解決できる親御さんもおろうに。

後半は、「ハーフ」、「ダブル」について。

ダブルっていうのは、双方の文化にルーツを持つんだから、半分じゃなくて二倍でしょってことです。

見た目が「外国人」に見える人が寿司を握っていたら、「どこから来たんですか?」と会話の端緒として尋ねられることは想像はつく(実際この例は1日に何回も聞かれる。毎日。)。

そして流暢に日本語を操る彼が「日本語お上手ですね」と言われることも一日1組のお客さんの割合で毎日あるそうな。

さて、仮に日本国籍でずっと日本で暮らしてきたあなたが日本の寿司屋で働いていて、

「どこから来たんですか?」と毎日数人の人に言われ続けるとして。

「…日本に生まれてからずっと住んでいます」って答えるときって、ちょっと困惑しませんか?

「日本語お上手ですね」も誉め言葉ってわかるけど、「そら当たり前や」と少なくとも内心は思う人も多いかもしれません。

でも彼とそんなあなたの差は見た目だけで、彼が日本で生まれ、日本で育つ、国籍上も日本人であることもあるわけです。てか、これからそんなことは珍しくなくなるわけです。

「いつになったら日本人って認めてもらえるんだろう」

その人の言葉だそうです。

ナショナルアイデンティティをどこに置くか、自分の育ちに焦点を当てる人もいれば、自分の親の国に焦点を当てる人もいる。これはライフヒストリーに直接関わる話です。

なので、その人自身が生きて行く中で感じることであり、周囲が決めることではありません。

見た目は遺伝子の気まぐれによって生まれるもの。その人が選んだものではありません。

最近、他の人が選んだことを大事にしようと実感することが増えました。子育てでもそうだけど。

どんな人でも見た目とのギャップがあるかもしれないってことを頭の片隅に入れて暮らすことって大事って思いました。ギャップ萌えとかそういうレベルじゃなくて、真剣にその人自身が「わたしは何者か?」という問いに関わる部分でもあるってことよ〜

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